トップページ tel:0792626871

特定不能の摂食障害とは

 摂食障害で生活の質がひどく損なわれているが、しかし神経性無食欲症や神経性大食症の診断基準のどこにも当てはまらない患者さんのことを特定不能の摂食障害と呼んでいます。その中で、病名として確立してきたのが「むちゃ食い障害」です。このむちゃ食い障害(BED)は、DSM-Wにおいては今後さらに研究を要する暫定的な診断名として分類されています。


 このむちゃ食い障害の本質は大食で、肥満しているタイプの人に多いです。そして大食への衝動は、しばしば味覚や食物の質と深く結びついています。しかし、大食はするものの、神経性無食欲症のような体重や体型へのとらわれはそれ程ありません。大食症の人が体重や体型で自分の価値を決めているのに対し、むちゃ食い障害の人は大食をコントロールできない自分に強い罪悪感を抱き、大食をしていることが原因となり自分の価値を低く決めているのです。体重や体型にとらわれないといっても、大食の結果太ることは情けないと感じ、痩せたいと思っています。とはいえ、神経性無食欲症のように痩せ過ぎの体重を目指しているのではなく、標準体重の範囲かそれより少し痩せたいと考えています。したがって、痩せるために嘔吐したり、下剤や利尿剤などの排出行為は基本的にはしません。それ以外は大食症とほとんど同じです。


 このほか、「体重が標準の80%未満だけれど生理はある人(生理以外は神経性無食欲症の診断基準を満たす人)」、「大食の頻度が診断基準(最低週に2回)ほどではないけれど長期間持続している人」、「大食はしないけれど体重を減らそうとして嘔吐をしたり、下剤を乱用している人」、「大量の食物をかんでは飲み込まずに吐き出す行為(チューイング)だけを長期間にわたり続けている人」などは、特定不能の摂食障害に分類されます。もちろん、特定不能の摂食障害は治療の対象となります。


神経性無食欲症の本質

 神経性無食欲症が発症する契機は、多くの患者さんに共通しているものがあります。それは、今まで普通にやってきた生活が、ある時期を境にそれがまったく通用しなくなり、知らない土地に一人放り出されて自分を見失ったような気持ちになった時に起こっています。そのタイミングが思春期です。子どもの頃から、親の言う通りに勉強を頑張って、良い成績をとれば褒められ、いい子でいれば皆から好かれます。そういう子どもは自分で努力するタイプですし、人に頼らず、自己責任で良い結果を出そうとします。


 ところが、思春期にはいると、様子ががらりと変わってきます。進学してどんなに頑張っても必ずしも良い成績はとれない。いい子にしていても、周りからは好かれるとは限らず、いい子ぶっていることがかえって嫌われ、理由もなくいじめられることもあります。また周りはグループをつくって群れ始める頃で、その中に素直に入っていけない自分がいます。このような環境や周りの状況変化などに出会うたびに、今まで自分がやってきたルールが崩れていき、通用しなくなることに気づくのです。つまり、自分の人生をコントロール出来なくなってしまうのです。その不安を何とかしようとして向けた行為が“拒食”です。食べることを拒む不食行為です。食べなければ体重は減ってくれて、自分の思った通りになり、努力が報われます。実生活が混沌としている中で、唯一のよりどころになるのが、食べないで体重を減らす行為です。それが自分にとって安心感と達成感を与えてくれるのです。


 こうして不食行動を起こした初期は、患者さんは活発で行動的になり、元気に明るく振る舞うことが多くなりますが、やがて安心感や達成感はだんだんと恐怖症へと変わってきます。不食をし続けなければならない、低い体重を維持し続けなければならない、という義務感に縛られ、現状を変化させる事への恐怖に襲われる日々となります。つまりは、体重へのこだわりが自分を苦しめるようになるのです。頭では多少の体重の増加は問題ないと理解しつつも、理屈ではないところで恐怖に苛まれます。この強迫症状が恐怖感を増幅させ、ますます深みにはまっていきます。さらにこの強迫症状は、周辺を巻き込んでいきます。例えば家族に、食事の用意の際に食物のグラム数の計算をきちっとやるように要求し、やってもらえないと激しく怒りますが、家族は当然「いい加減にしなさい!」と言って逆に患者さんを叱ることになります。自分は不安を回避しようとしてやったことが、家族から叱られることによって、ますます不安が強まります。その不安が、不合理なものであることは本人が一番よく解っていますので、周りが説得しても効果はありません。


神経性大食症の本質

 普通、人間の摂食行為は生物として生きるための本能的なものです。何らかの理由で食物摂取が出来なくなって、飢餓状態に陥れば、人間は自分の生命を守るために食思が自然と旺盛になり、大食することで生命の維持をはかろうと懸命になります。そして、栄養的にもカロリー的にも十分に満たされると、大食の行為は自然と解消されます。これは、人間の生体防御能力による自然な営みです。


 しかし、神経性大食症の大食行為は、これとはまったく別なものです。標準体重の範囲であっても、大量の食物を食べては吐いたり、下剤を飲んで排泄する行為は、神経性無食欲症の“痩せ願望”と同一線上あるもので、病気そのものです。これは患者さんの心や気持ちの本質にかかわっていて、発症の要因はさまざまですが、いずれにしても自身の内にあるモヤモヤしたネガティブな気持ちから逃れたいというのが動機にあります。ストレスが引き金になって、その発散のために大食をする人もいれば、とにかく自分の気持ちを麻痺させたいという感覚で大食にのめり込む人も多くいます。もともと大食症になる人は、対人関係で自己主張することが苦手です。自己主張できないために、他人に振り回され、相手に伝えられないまま内に抱え込んで、それを大食することで一時的に心のバランスをとっているに過ぎません。そして、大食に対する罪悪感や嫌悪感も手伝って、精神的にもさらに悪い状況に陥ります。


病気としての摂食障害の苦痛

 摂食障害は、行き過ぎたダイエットと思われている人もいますが、根本的には性質が異なります。ダイエットは単なる食事制限による体重減少ですが、摂食障害はれっきとした病気です。病気というのは心身ともに苦痛を伴うものであり、自分で症状をコントロールできないものです。傍から見ていると、摂食障害の患者さんは好んでダイエットをしているように思えますが、本人からすれば、ただただ体重が増えることへの恐怖感から、苦痛を押し通して痩せるために食事制限を行っているのです。その苦しさは、他人には容易に理解できないものです。


 例えば、神経性無食欲症であれば、健康な体の指標としての標準体重がある中で、それを20%以上も体重減少させた時点で、もはや病気の状態と言えます。まともな物は食べませんから、栄養状態は非常に悪く、なおかつ栄養を摂取しない、摂取してもすぐに嘔吐したり排出する、といった悪循環に自分の身を置いているのです。それでも、本人はそれが病気であるという認識が持てないのです。この神経性無食欲症という病気は、治すのも怖いし治らないのも怖い、というきわめて心の不安定さがこの病気の本質にあります。不食の症状が長引くと、日常生活においてもさまざまな制約を受けることになります。他人と一緒に食事ができない、身近な人の食べ物が気になって仕方ない、痩せすぎているために好きな洋服が着られない、子どもが欲しくても妊娠できない、痩せていると硬い椅子に座るときに骨があたって痛くて座れないなどがあり、それらを自由に行うことができる健康な人がうらやましく思えるようになります。それは、神経性大食症においても同様で、大食を維持するための経済的な不安、ゴミ処理などの苦痛もあります。なによりも大食そのものをコントロールできない自分、大食しては嘔吐する自分への強い嫌悪感などの苦痛が常にあります。


前のページへ 次のページへ


初めての方へ

症状と治療方法

初めての方へ

診断チェック